ケアレスミスが多いのに、仕事ができる人間と思われたかった
30代男性
発病までの背景
会社員の父と専業主婦の母との間の三人兄弟の次男として生まれました。
父と父方の叔父、叔母の兄弟仲、父と母の夫婦仲が非常に悪く、家にはいつも大人の怒鳴り声が響いていたことを覚えています。
勉強をあまりしないわりには学校の成績は良い方でした。宿題をやることを忘れていた、やった宿題を忘れてくる、学校や家、遊び場に忘れ物をしてくるなどしょっちゅうありました。小学校時代の先生に、忘れ物の数をカウントし、黒板の横にランキング形式で張り紙を張り出すという、少し変わった方がいて、そこでは、毎回、堂々の上位にランクインしていました。
大人になって現れたADHDの症状
学生時代、50〜90分の授業にいろいろなことが気になってほとんど集中できなかったり、人との距離がわからず、集団から離れて孤立していることもあれば、集団に交じって過度に明るく振る舞い過ぎてしまうことに常に悩みがありました。
会社に入り、業務をこなすうちに、ケアレスミスを気にするあまり、何回も仕事の見直しをしたり、「過度に明るく振る舞い過ぎる」面を上司に見初められてしまい、社外の人間との調整が多い業務を任されたりしました。
「仕事で認められたい」「仕事ができる人間と思われたい」との気持ちが強く、今から振り返ると本来的には苦手であることを、必死に頑張りすぎてストレスを抱えていたなと思います。
やがて、入社から8年ほどしたところで、不眠やうつ症状がひどくなり、心療内科に受診することにしました。
私が行った治療
うつ症状、不眠がひどくなったときは、大人のADHDということが、世間的にもまだそれほど認知さえていなかったと思います。オーバーワークからのうつ状態ということで、心療内科では、抗うつ剤と睡眠導入剤をいただき、服用しました。ちょうどそのタイミングで仕事の量も減らすことができたので半年ほどでうつ状態は改善していきました。
大人の発達障害かもしれないと医師からいわれたのは、うつ状態を再燃させたときでした。一度目の心療内科とは別の心療内科にかかり、そこの精神科医に「○○さんは、こういうのかも知れませんよ」と大人の発達障害に関する本を手渡されました。おそらく、発達障害というワードを鮮明に意識したのは人生でその時が初めてだと思います。
2度目は、うつ状態がひどかったこともあり、会社は休職し、心療内科への通院、カウンセリング、デイケアといった治療プログラムをたてていただき、ゆっくりとした時間を過ごすことをこころがけました。
その後
結局、会社に復職せず、そのまま退職することにしました。無理をして働き続けても、事態が好転しないと思ったからです。幸い、心療内科の先生やカウンセリングの先生、デイケアのスタッフなど相談できる相手も増えました。今は、そうしたご縁を大切にしつつ、週2,3日の警備員のバイト、週2のデイケア、そのほかは資格試験の勉強と無理のないペースで生活しています。
これからの人生の具体的な展望は、いまだ見えてきませんが、「苦手なことに過剰に頑張りすぎない」「自分ひとりではなく信頼できる人に相談する」「背伸びをした自分の思いに気づく」をテーマに考えていきたいと思っています。
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