大人のADHD体験談

母と一緒にADHDと向き合っている

30代女性、当時20代

 

発病までの背景

 私は自然に囲まれた、とてものどかな場所で生まれ育ちました。
 両親に叱られた記憶もほとんどなく、たくさんの愛情を受けました。
 私には歳の離れた兄がおりますが、兄との関係も非常に良いと思います。
 私は、好きなことには時間を忘れて没頭するタイプです。
 例えば、小学校の時に初めて縄跳びで交差跳びができるようになりました。
 それがあまりに嬉しくて、休み時間の終わりを告げるチャイムにも気付かないでずっと跳び続けていたことがあります。
 友人はゼロではありませんでしたが、集団行動が苦手なので、あまりグループには溶け込めませんでした。
 単独行動が多かったように思います。

 

大人になって現れたADHDの症状

 大学を卒業後、社会人として働き始めました。
 職種は営業事務だったのですが、とにかくミスが多く、上司からよく指摘されていました。
 自分ではしっかり注意しながら仕事をしているつもりなのですが、結果的にミスが多くなっています。
 学生時代に販売のアルバイトをしていましたが、その時はほとんど注意を受けたことはありません。
 お客様から叱責されたこともなく、先輩からは可愛いがられていた方でした。
 しかし、社会人になってから仕事でミスを連発するようになり、周りの目は厳しくなりました。
 同期は励ましてくれるものの、目は笑っておらず「しっかりしてよ」と言いたげでした。
 発注ミスなどが積み重なり、得意先からもクレームがくるようになった時、とうとう上司に呼び出されたのです。
 注意散漫なのではないかと問い質されました。
 周りからの冷たい視線がどんどんプレッシャーになり、最終的には退職願を出しました。

 

私が行った治療

 なぜこれほどまでミスをしてしまうのか、注意しても必ずミスをする原因が私自身全くわかりませんでした。
 特に悩みがあったわけでもなく、ただ普段通りに行動しているのに間違いを起こしてしまうのです。
 そのことが非常に辛く、自信もなくなってきました。
 その頃、身の回りの物がよく無くなり始めていました。
 特に家の鍵に関しては何度無くしたかわからないほどです。
 さらには、鍵を無くしたことを親に伝えようと思いながら、他のことに気を取られて、無くしたことの報告すら忘れてしまうことがありました。
 自分では細心の注意をはらっているのにうまくいかない。
 「何かが欠けている」とその時初めて思いました。
 親に相談し、一度病院で診てもらうことにしました。
 何科に行けば良いのかわからなかったので、とりあえず総合病院の内科へ行くと、そのまま精神科へ回されました。
 医師から幾つかの質問が出され、それに答えていると、医師から「ADHDの可能性が高いですね。」と言われました。
 ADHDという言葉を知らなかったので、私も母も驚き二人でキョトンとしました。
 医師からADHDについての説明を聞くと、まさに自分のことだと思いました。
 母も「そう言えば・・・」と過去のわたしに見受けられた言動をいくつか伝えていました。
 ADHDは大人になってから発症することは少ないということなので、今まで気付かなかったのだろうという結論に至りました。
 生きにくいと感じていた私の気持ちが初めてフワリと包まれた感じがしたのを覚えています。
 治療は薬物療法で、子供も飲んでいるような軽いものを服用することになりました。

 

その後

 薬物療法だけに頼らず、自分でできることは何かをずっと考えていました。そしてとにかく基本的なことをできるようになろうと思い、報連相を徹底するよう努めました。
 物を無くしたり、何かうまくいかなかった時などは、必ずメモを取るようにしています。それを帰宅後に母に見せて、母とともに解決策を考えるというようなやり方をしています。有難いことに母はとても親身になって私に寄り添ってくれました。ですから私の方も心が暗くなることなく、この病気と向き合えている気がします。

ADHDの診断や治療は専門の医療機関にてお受けください。 =>ADHDは何科で受診する?

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「パロキセチン」
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「忘れ物」や「片付け・掃除」の悩みを解決する

「段取り力」を身につける

=>その他ADHDの悩みを解決する書籍

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